昭和42年03月18日 朝の御理解
四十二歳の御大患の時、神様からのお達しがありました時に、奥様のお父様である、古川八百蔵というお方が、この方に限っては、神様に対する、お粗末やらご無礼はないと断言されました。新屋の次郎と言う方に、神がかりがあって、これらの主人に「きょうび、金神に無礼があると」とお達しがあった、その時に仰ったお言葉なんですね。古川八百蔵という奥様のお父様に当たられる方なんです。
ですから、一番、教祖を良く知っておられる訳なんです。それこそ、実意というか丁寧というか。もうその限りを尽くしておられる。日頃の、教祖の神様の、その当時は、川手文治郎と申し上げたんですね。文治郎に限ってそのようなことはございません。他の者ならいざ知らず、文治郎に限って、そのような、お粗末ご無礼がある筈はございません、と言うて、神様に、いわゆる、口返答をなさいました。
その時に、それこそ、ものをも言われん。水をも通らんという程の重体の、川手文治郎様ですね。後の、教祖の神様が、床の中から、ただいま氏子の申しましたこと、あれは間違いでございますと。人間、凡夫のことでございますから、相分かりませず。どこにお粗末がご無礼がございますやら。どうぞ平に、ただ今の、氏子の申しましたこと、平にお許し下され、というお詫びをなさっておられますですね。
私は、ここのところを、これですんだとは思いません。生身をもっております、凡夫のことでございますから、どこにお粗末がご無礼があるやら分からないと、言う、そういう態度というか、そういう姿勢こそが、私は、お道の信心の根本だと思うのです。いよいよ、今日も、今朝の御祈念を最後にいたしまして、合楽のお広前に移らせて頂き、新たに、親教会から御神璽、御霊璽を奉斎申し上げる式がある訳でございます。
何でもこれが最後と思いますと、感慨無量のものがございます。ここのお広前で、16年間、このように人が、段々、助かってくる様になりまして、16年間という間を、ここで修行させて頂きました訳です。けれども、修行させて頂いたというても、何が出来たかと言うと、実際は何にも出来てない。ここ2、3日、毎日のように申しましたように、さぁもう、いよいよ、あと三日だ、あと二日だ。
もういよいよ、明日一日だと言うふうに申して参りましたが、その後の一日。いよいよ今日になってみて、振り返ってみると、何にも改まる事もようせず、本気で研かして頂くという様なことも、研いた後というものを感じません。本当に、相すまんことだなあと、こう思うのですよ。私は、本当に、これだけはもう、椛目に置いて行きたい。これだけは、あちらに持って行ってはならないと思うておったことも。
よう改まりも出来ずに、このまま合楽に移らなければならん事は、まことに相いすまん事であるという事と同時に、残念なことに思うのでございますけれども。教祖の神様はです。私が、先程、申しましたように、凡夫のことでございますから、相分かりませず。どこに、お粗末がご無礼があるやら分かりません。と言うように、神様に申しておられますけれども。私共の場合は、これで済んだと思いませんという。
これで済んだと言うことは、一生懸命な事が成されたという事なんです。その、一生懸命な事がなされんままに行くのでございますから。ただ、お詫びする以外にはないのでございます。皆さんも、お頂きになったことと思いますけれども。霊舎の御霊様の方に移らして頂いて、そのことをお詫びさせて頂いておりましたら。お広前いっぱいに聞こえるような、おいさみがございましたでしょう。
咋日、一昨日から、春雨と言えば、なかなかですけれども。実に春雨は春雨ですけれども。お湿りが続いて、咋日は、それに風まで、春雷、雷様まで加わって、お湿りがございましたが。本当に神様の願いというか、思いというものは、それでもやはり、清めずにはおかん。それでもやはり、神風をもって祓ってやらなければおかんと言ったような、自然の働きを、実感として受けた感じでございました。私共は、成すこともよう成さず。よう改まることもよう改まらずに、移るのでございますけれども。
神様はそういうような、細かい神経をお使いになって、私共を清まったものとして、あちらに移ることをお許し下さるように思うのでございます。どうぞひとつこれで済んだとは思わんのでございますけれども。これで済んだという程のことも、よう出来ません。けれどもやはり平身低頭、お詫びしぬかせて頂きまして、そのお詫びによって、神様に通わして頂けれる、いわゆる「おいさみ」をもってお応え下さったということは。
言うなら、お許しを下さったといったような感じがいたします。ですから、私共が、もう人間じゃけん、こんくらいの事はと言ったようなことになりましたら、もう信心はおしまいだと思うのです。そこに取り組まして頂いて、はじめて、私は、取り組んでみて、その難しさに驚くのでございます。取り組んでみて、何にも出来ないことが良く分かるのでございます。ですから、詫びるより他には無いと言う感じですね。本当に、お詫びしぬかせて頂いて、あちらの奉斎式を頂かせて頂きたいと思うのでございます。
どうぞ。